2006年08月19日

皇国臣民

沖縄に徴兵令が施行されたとき、一般島民の徴兵忌避の気持ちとは逆に、沖縄の上層指導層の人たちは、国民の義務として兵役を担うことは、晴れて皇国臣民 ( 日本国民 )になれることとして歓迎したということである。
信子の父などが台湾に渡った直後の日露戦争では、沖縄の人たちが日本の戦争に初めて動員され、大勢の死傷者をだした。差別的にみられがちな沖縄の人たちの立場が、戦争への参加で皇国臣民としての市民権獲得の道となっていたのである。台湾海峡をぬけて東シナ海に入ったロシアのバルチック艦隊を発見し、日本の大本営に報告するために一生懸命に舟を漕いだ、宮古島の五人の漁師が英雄になってゆくのである。

信子のお姉さんが軍への協力を志願して出征したことは、本土の人たち以上に皇国臣民であらねばならなかった沖縄の人たちの立場がみえてくるのである。沖縄戦で「ひめゆり隊」「健児隊」をはじめ、多くの民間人が犠牲者となった背景をさまざまに論ずることが出来るが、台湾の信子のお姉さんが追い込まれていった心情と同じことも、そこに見えることを知らねばならない。
お姉さんの志願・出征は、結局は沖縄の立場による世情と時局による強制であったと理解しなければならないことである。出征前に信子を連れ出して千畳敷の潮たまりに遊んだお姉さんは、きっと二十歳の前だったに違いないのに。

沖縄の人たちが帝国日本と皇国臣民の呪縛からのがれたとき、ヌチドゥタカラ( 命どぅ宝 ) という本来の沖縄の思想をとり戻すのであるが、そのためにあまりにも大きな犠牲が払われていた。



記事の「 社寮島 」とは関係ありません。
投稿者の在所、新潟県北魚沼郡川口町です。


皇国臣民地震災害からの復旧と、大雪による春の遅れで、
今年も田植がおそくなって、ようやくコシヒカリの穂がでました。

 稲の花、日中のほんのわずかな時間だけ開きます。 
皇国臣民 8月15日。



Posted by sab at 22:31│Comments(4)
この記事へのコメント
るる丸さん 有難うございます。

不思議ですねえ。本や何かで読んで 知っていることでも、
こうして皆さんからコメントいただけると、実感が
全然違うのです。
Posted by 三郎次 at 2006年08月27日 00:39
「世界のうちなーんちゅ大会」が開催されるほど、
沖縄の人は世界中に移住しています。
アメリカ、ハワイにも、沢山の沖縄の人が移住しました。
差別がないわけありません。
戦争が始まると、アメリカ人として生きている事を明らかにするため、
アメリカ軍へ志願して最前線へと出兵していたようです。
悲しいですね。本当に悲しいです。
Posted by るる丸 at 2006年08月24日 17:18
コメント 有難うございます。

世界中を震撼させた911事件ですが、山村田舎にいますと どうしても新聞・テレビの中のできごとと受け留めがちです。
しかし、こうしてコメントをいただきますと、NYの事件が さまざまなことの教訓をもって、より身近なできごとのような臨場感で迫ってきます。

ホワイトムーン さんの記述は 宗教でもなく科学でもないような とても不思議な世界です。
Posted by 三郎次 at 2006年08月22日 22:19
本当にそうだと思います。

私も、似たような理解に到った経緯があります。

それは
あの911事件直後。

当時、NYにいたのですが
真っ先に星条旗を家や車に掲げたのは
他でもない
移民の人々。

見るからにアメリカ人(白人・中級階級以上)の人は
「私はアメリカ人だ!」という
プレゼンテーションは不必要。

「私は怪しい外人じゃないですよ!」
「見た目はともかく、国籍的にはアメリカ人ですよ!」

とアピールしないと自分の身さえ危ういのは
いつもグレーゾーンにいる人達なのだということを
そのときに痛感しました!
Posted by ホワイトムーン at 2006年08月20日 14:46
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