2007年12月08日

柳田國男 『 海上の道 』

魚沼の田んぼが私の生活の場であったから、信子の幼い記憶の台湾の田んぼや、引揚げた沖縄での稲米のことは、私の関心事になっていた。
そして、日本民俗学の柳田國男の著作にふれたとき、その思いがますます募るのであった。
柳田國男の最晩年の著作、おそらく生涯の思索の集大成とでもいうべき 『 海上の道 』 は、稲を携えて琉球弧を北上した日本人像をえがいている。その柳田の論考の是非はさまざまに論じられて、定まっていない。考古学に否定されようとしたその論説は、近年の稲の農学の成果から見直される気配にもある。東南アジアの島嶼地域に広まりをもった稲の系統が、日本の原初の稲作に大きなかかわりをもったのではないかと論じて、柳田の海上の道論の下支えとなったのである。ジャポニカ米とは別の稲米の系統を、沖縄の在来種に見いだしてのことであった。

信子が台湾の海山郡の稲作の風土に遊んだ記憶は、私を日本の稲作文化の源流へと誘っている。海山郡の稲が、旧来の島嶼型の丈の長い稲だったのか、あるいは日本稲で改良されたジャポニカの蓬莱米だったのか、信子の記憶に問うことはできなくなっていたのだが、おおきな水牛がいてターユが泳いでいる田んぼのようすを思い浮かべると、日本の稲作の祖形にもなっていた芒の長い稲が想像されるのであった。




柳田國男の著作 『 海上の道 』 と、芒のある稲、ない稲
初版本、
昭和36年刊。


信子の稲によって、私は柳田國男の、日本文化の源流を論じた雄大な仮説の論著に惹かれれようになっていた。



Posted by sab at 01:33│Comments(4)
この記事へのコメント
ご回答、ありがとうございました。
行きも帰りも、休憩地は同じ地点を利用します。
新潟便は数ある高速バス便の中でも安い方みたいです。
初めはドキドキものでしたが最近はだれて来て、お金もほとんど持って行きません^^;バスチケットと芝居の前売り券、いざという時の金融機関(都銀)のカードで十二分です。みんな新潟市内に同じ店や商品が溢れているので、買い物もしません。
新潟市内は雪がないのに、湯沢はやはり圧巻でした。

今度行く時は是非、高崎弁当買ってみます!
Posted by ふえきのり at 2007年12月25日 12:46
笛木さん ありがとうございます。
とぎれ途切れの書き込みに、立ち寄っていただくのは恐縮です。 

立ち寄っていただきたいところ、ほかにもあります。

笛木さんの関東往来、すごいなぁ と 羨望でブログを拝見しています。
川口の雪は、降ったり消えたりで、高速エリアの近辺には、陰まわりに残っているかもしれません。

行きの休憩地が「越後川口」なのですか。帰りはどうでしょうか。
下り線 サービスエリアの売店(高崎弁当)に、私の 「 魚沼産 」 をとり扱っています。
折があったら、立ち寄ってみて下さい。
23日には、品薄になっているかもしれません。


付箋のことはたいしたことではないのです。
物忘れがひどくなったまでのことです。
Posted by sab at 2007年12月23日 00:19
岩波文庫に付箋がビッシリ!昨今は、大学生でもここまでやらないでしょうね^^;(私はやってました)

23日、東京行き高速バスを利用します。
途中の休憩地が「越後川口」なのです。
雪はあるんですか?(新潟市中心部はまだ雪らしい雪を見てません)
Posted by 笛木のり笛木のり at 2007年12月22日 18:52
sabさん コメントありがとうございます…
今、どうして大嶺なのか不思議なつながりを感じています。
また、こうして新潟の遠く離れたところから
大嶺、沖縄に意識を向けられている方がいらっしゃるというのが
またまた不思議にさえ思います。

今週22日(土)冬至の日
大嶺のことを記事に書かれたkuwa(桑村)さん
まだ行ったことのないという大嶺血縁の友人
ご縁のある方で10人くらいで
無くなるかも知れないというグスクを訪れることになりました。
(それが目的でないとその地には入れないのです。)

ブログにアップした、ヒージャー川や地球軸をまわる予定です。
kuwaさんの案内でグスクの中にも入るかもしれません。

とりあえず、行ってきます! (^^)/
Posted by ナンシィ♪ナンシィ♪ at 2007年12月19日 10:11
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