2005年09月09日

社寮島の琉球女

紀州新宮に住んだ佐藤春夫の文章には、ややもすると内地人の優越を感じながら、台湾の小島の 「 琉球人の部落 」 を見てしまったのではないかと、当時の日本の一般的な風潮を懸念しながら読んでしまうのです。

< 出て来た女どもは内地でいう酌婦というような者であろう、多分船員や琉球辺からの漁師どものお相手をするものと思える。 ・・・・ 女は我等に酒を估ろうとするのは適当にあしらっている。
「 俺たちは芋の酒なんか真平だ 」
「 お米の酒もある 」
「 米の酒はなおまっぴらだ。まずくて高いからな。お前たち飲むなら芋の酒でも飲めばやるぞ 」
とまずこんな調子である。彼女等が酒を呑んだ時友は弾いて歌うことを求めた。二十銀貨を二つか三つやつた様子であった。>

文学的姿勢の表現となったのか私には理解できないが、いまから読むとぞんざいな態度と言葉つかいであった。

「 日本女性として台湾植民地への最初の渡台者 」が「 琉球女 」であったと又吉盛清の報告がある。(『琉球新報』99年8月26日)



社寮島の琉球女書込みの「 社寮島 」とは関係ないです。
投稿者の在所、新潟県北魚沼郡川口町です

草やぶの中の野仏
写真はクリックして下さい



Posted by sab at 20:43│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。